星空のステージ

青い春

「ここならゆっくり話せそう。」
そう言って月子は、駅前の広場の
噴水の方へ駆けていった。
側にあるベンチに座ると、
こっちこっちと手招きをする。

とても静かな夜だった。
僕と月子以外、誰もいない。
もう車も通ってない。
風も吹かない。
全てが静寂の中にたたずんでいる。
僕らはベンチに座って、
吸い込まれていきそうな星空を仰いだ。
闇はどこまでも深く、僕をどこか、
見知らぬ場所へと誘っているようだった。

僕は月子の名前を知らない。
月子は仮の名前だ。
でも僕は月子にそれ以上
何も聞かなかった。
別に構わなかった。
月子とは、
このままの距離で居たかった。
一歩でも近づいたら、
月子はどこかへ消えてしまう気がした。
だから僕は追及しなかった。
もう少し月子と一緒に居たかった。

「きれいだね、星。」
月子は無邪気に笑う。
僕はその、無邪気で屈託のない笑顔が、
月子の中で一番好きだった。
「あたし今、こう、
自分の中で、変わっていく気がするの。」
言いながら月子は、
自分の爪先に視線を落とした。
「何か自分の中で、
どんどん膨らんでいくものがあって、
内側から押し寄せてくるの。
それはどれも同じくらい大切なもので、
でも本当はそんなに抱えきれないの。」

月子は僕と似ているところが
たくさんあった。
いつも月子は、
僕の心の本を読んでいるようだった。
「あぁーあ、一度こんなところで
思いっきり歌ってみたいなぁ。
ねぇ、ここって
最高のステージだと思わない?」
月子は立ち上がると、
思いっきり深呼吸一つした。
「あぁーあぁ…」
溜め息混じりにそう呟くと、
月子は空を見上げて、
さらに遠くの方を見つめた。
壊れてしまいそうだった。
まるでガラスのようだった。
僕は、月子の気持ちが
痛い程よく解っていた。

「あたしね、
こんなふうに夜空を眺めてると、
何かよくわかんないけど、
涙がこぼれてきそうで――
だからいつも
涙が落ちてかないように、
こうやって――こうやって、
上を向いてるんだ。」
月子の瞳から、
涙が溢れてきそうだった。

ぽろ…
雫が一つ落ちて、
地面の石に染み込んでいった。

月子…
僕は何も言えなかった。
何か言う言葉があっただろうか。
そんな言葉は、
この世にあるのだろうか。
僕に何か、できただろうか…

静寂の音がした。
でも時は、確実に過ぎていっていた。
ゆっくりと流れているようで、
実は物凄いスピードで、僕の横を
通り過ぎているのかもしれない。
今はもう過去であり、
入れ替わった今も、
もうすでに過去であり……

「時々、不安になる。
時間だけがどんどん過ぎていきそうで…
あたしはずっとこのまま
たたずんでいるんじゃないかって――
時の流れにおいてけぼりにされそうで…
だけど、いつかきっと、こんな事も
思い出になっていくのかもしれないって
――いつかは、笑って話せるような
昔話になるのかもしれないって
――時々思うの。」
月子は僕のほうを振り返った。
「…ねぇ、思い出に、なるよね?」

瞬きもせずに、
月子は僕の瞳の中をじっと見つめた。
僕の瞳の中に、月子が映る。
何か、懇願のまなざしで。
しかし、しばらくすると月子はふっと
目をそらして、独り言のように呟いた。
「…きっと、なるよ。
……なるよ、思い出に……」
その時、
「あっ…」
視界の隅に、星が流れ落ちていった。
僕らは二人して顔を見合わせた。
「今の…」

一瞬の出来事だった。
月子も僕も、呆然として
空を見上げていた。
もう何も起こらなかった。
「あはっ…」
空を見上げたまま、
月子は小さな声で笑った。
「…あたしたち、結局、
今を夢見ることで精一杯なのかしら…
今を生きていくことで……。」

そうなのかもしれない、
きっと僕も月子も、
この現実の世界で毎日夢を見ている。
そしてきっと僕たちは、
現実の世界の上で、
幻想の世界を作り上げている。
幻想の世界を、現実の世界へ
導き出すために、僕らはきっと…

「世界はたった一つしかないけど、
あたしたち、
一人一人が違う世界に生きてる。
何か、不思議だよね。」
月子は、ピョンッと
噴水のふちの上に飛び乗った。
「とりあえず、やることは沢山あるよ。」
悪戯っぽく笑って僕を見る。
月子は、
「じゃあね。」
そう一言いうと、くるっと背をむけて、
歩き出した。



気が付くと、
僕はベランダで星を眺めていた。
月子は居ない。
遠くの街のネオンが光っている。
キラキラと光るネオンは、
いつか見た流れ星を思い出させた。
静かに時が流れていく。
闇に浮かぶ灯は、
どこまでも僕を夢の世界へと誘い出す。
その中で、幾つか、
膨れ上がっていく何かがある。
だけどまだ、
僕は僕が解らないままだった。
僕は、これからどこまで行くのだろう。
僕は、僕を探しに歩き出す。